ご縁

今から数年前のこと。高齢者さん対応のデイサービスで、お昼ごはんを用意する仕事をしたことがあります。15~20人分のお盆に名札を並べ、食事を配膳するのですが、おかずを細かく刻んで出す必要のある人、飲み物やお味噌汁にとろみが必要な人、アレルギー対策が必要な人、量を少なくする必要のある人など、日によって情報が変わります。効率的に、しかも絶対に間違いが許されませんので細心の注意をはらい作業をするため、配膳が終わると放心状態。へとへとに疲れるのに楽しく続けられたのは、そこで働くスタッフさんたちのおかげだったと思います。揃いも揃って面白い人がたくさんいて、なおかつ介護と看護のプロがお互いにリスペクトしているのがわかりました(これすごく大事ですよね)。午前中の空いた時間を使おうと気軽に始めたパートでしたが、良い職場に出会えたと思いました。

しかも素晴らしい偶然があったのです。なんと若い頃に、とある職場(A社とします)で仲良くしていた友人がそこで働いていたのです。こんなサプライズがあるから人生って面白いですよね。そこから交流が復活し、「ご縁」は今も続いています。

彼女との再会を祝した写真をA社時代に仲良くしていた別の友人に送り、後日3人で会った時の喜びと言ったら! 

それぞれに人生を歩み、年月を経てまさかの再会ができるなんて、運命は粋なはからいをしてくれるものです。

とはいえ、過去を振り返るとケンカ別れをしたままの友人もいます。今となればお互いに若く、それぞれ自分の主張だけをしていたような気がしますが、「いや、やっぱり私の方に驕りがあった。思いやりや礼儀にも欠けていた。恥ずかしい、あの時はごめんなさい」と、友人の顔を思い浮かべることもありますが、連絡する術がありません。しかし、もう一度会って縁を深める必要があれば、きっとどこかで会えるような気がします。

「ご縁」。ふだん、私たちは何気なく使っていますが、これはお釈迦様が説いた「縁起」に由来していました。縁起は、「因縁生起(いんねんしょうき・いんねんせいき)を略した言い方で、良い種をまけば良い結果が現れ、悪い種をまけば悪い結果が現れる。私たちが日々生きているなかで、身に起きるすべての結果は因縁、原因があって生じたものであるというのです。

そう考えると、「ご縁」というのは、自分を映す鏡なのかもしれません。笑顔でいれば、同じように福々しい笑顔の人と出会えると思いますし、イライラしていたら似たような怒りの波動をもった人と出会ってしまいそうです。

天候不順だし、流れてくるニュースは不穏なことばかり。未来に希望が持てない、そんなふうに思う日もあります。そんな気分の下がったまま、たとえばスーパーに行ってレジの人の感じが良いと、ハッとします。前述したように、自分がイライラしていたら同じような人を引き寄せると思っていたところに、真逆の太陽のように明るい人が登場なのですから。レジの人だから笑顔なのはあたりまえと思いきや、今時はそうでもなく、淡々と作業をされる人が多い印象です。だからこそ、これは「暗い顔をしていないで、口角を上げていきなさいよ」と誰かに言われているような気になるのです。ちょっと考えすぎでしょうか?

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