すでに親を看取った人、これから親を看取る人。
育ててくれた両親が、年老いて小さくなっていることに気づいたときの動揺。
少し、ちぐはぐなことを口にする父を見たときの驚きと悲しみ。
電話の向こうの母の声がちょっと弱々しくなったと気づいた時。
若かった父と母が出会って、私たちは生まれた。
子どもの頃、親子喧嘩すると(こんなところに生まれたくなかった!)などと、親に対して文句を言ったことはありませんか。本気ではないのに、怒りにまかせて勢いで言ってしまう。言われた親はどんな気持ちになったことでしょう。それでも、毎日私たちは親に守られて生きてきたのですよね。そのことを思うと、育ててもらったことへの感謝の気持ちが溢れ出てきます。
どうして自分はあの親のもとに生まれたのだろう。
とっくに自分も親ではあるのに、なぜか子どもの頃の自分に戻って、そんなことをふと思う日はありませんか。
わたくしごとになりますが、母は10年前に亡くなりました。
痩せ細ってもユーモアを忘れない母とのおしゃべりは本当に楽しかった。
ある時「この年齢まで父さんと仲良くやってこられたし、あなたたちも立派に育った。もう私は充分。」母からそう言われ、私は何も答えることができませんでした。泣きそうになる自分を隠したくて、目の前にあったお煎餅をバリバリ食べながらチラリと母を見ると、何とまぁ穏やかな顔でお茶を飲み、満足そうな気配を漂わせていました。
ある時は、「私が天国に逝ったら、あなたたちに悪いことが起きないように見張っていてあげるから」と言うので「え! 本当に!?」と真顔で私が言うと、母はまるで舌を出したようなふざけた顔をしました。こんな小さなことが、今では心がほっこりする温かな思い出として残っています。
母が亡くなった後、父は体調を崩して入院をすることになってしまいました。昭和ヒト桁生まれ、優しい言葉をかけるタイプでもなく、生真面目な父。お見舞いに行くと、母の姿を見たと言うのです。廊下を歩いていたり、窓から中庭を見下ろすと木のそばに立っていたんだよ、と言うのです。父からそう言われた私と姉は顔を見合わせ、「そうなんだ」と返事をしました。その時はショックでしたが、今思えば、もしかしたら本当に見えていたのかもしれませんよね。
父は2年前の春に亡くなりました。危篤状態の父の世話を、姉と姪たちと順番にすることができました。目を瞑っている父に「育ててくれてありがとう」と言えたこと。きっと聞いてくれていると思い、父の好きだった「与作」や「北国の春」を流してみたり、香りも届くはずと思い、好物のミカンを剥いてみたり、そんな幸せな思い出がいっぱいです。
親を看取るということ、きっと親子の数だけいろいろなかたちがあるのでしょう。
怒りや悔しさ、悲しみを伴うこともあると思いますが「縁あって親子だった」。そう思うのです。そこに意識をフォーカスすると、子どもの頃の自分と、そばにいてくれる親の目線というのでしょうか、気持ちを想像することができるような気がします。なんだかんだ文句ばかり言われていたと思っているのは子どもの自分だけで、親はいつも守ってくれていたのだ、そう思えるのです。
もう永遠に会うことはできませんが、よく聞く「心のなかにいつも存在する」というのは、本当だと思います。